ヤングケアラー
体験談
代表理事(元ヤングケアラー) 宮﨑 成悟 みやざき せいご
私は、中学3年生の頃からめまいがひどいことに悩まされていた母を支えていました。高校2年生の時に「多系統萎縮症」という診断名がついたのですが、17年間、日に日に病気が進行する母をつきっきりで支え続けました。高校3年生になり大学受験の時期になると、日中は学校、夕方は予備校、夜は家事と母のケア、というような生活を過ごしていました。
そんな受験期真っ最中のある日、突然母が目覚めなくなりました。半分寝たきりの状態になった母をみて、私は大学への進学を諦めました。そこから2年間、僕は再び受験勉強をしながらつきっきりで母の介護をしていました。
この頃の私は自分の人生に対して自暴自棄になってしまい、もう何もかも諦めたい気持ちになっていました。この頃の自分を振り返ってみると、限りなく視野が狭かったと感じます。本当は目の前に無数の選択肢があるはずなのに、介護にいっぱいいっぱいでその選択肢に気づけていませんでした。私は、すべてを投げ出して誰かに頼りっぱなしにすることも一つの選択肢だと思います。どんな選択をしても、今の自分をきっと未来のあなたは誇りに思っていますよ。